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ザ・シンフォニーホール 75年ぶりに大阪で信時潔作曲、北原白秋作詞「海道東征」を上演 産経新聞社主催 滋慶学園グループなど協賛
2015.11.24
大阪出身で元東京藝術大学教授の作曲家、信時潔(のぶとき・きよし)と詩人、北原白秋が昭和15年に作った交声曲「海道東征」を全曲演奏する産経新聞社主催の「戦後70年 信時潔没後50年 交声曲『海道東征』」(ザ・シンフォニーホール協力、滋慶学園グループなど協賛)が11月20日と22日、大阪市北区のザ・シンフォニーホールで開かれました。会場は全1700席が満席となる盛況ぶりでした。
産経新聞(大阪本社発行)
平成27年11月21日付の1面記事はこちらから
産経新聞(大阪本社発行)
平成27年11月21日付の社会面記事はこちらから
「海道東征」は、神武天皇即位を紀元とする皇紀2600年の奉祝曲として昭和15年に作られ、同年11月26日に東京・日比谷公会堂で初演。3日後には大阪で公演が行われました。戦時中は全国各地で盛んに演奏され、大阪では19年12月にも、大阪フィル創設者の朝比奈隆さん(故人)の指揮で上演されています。
しかし、誕生の経緯もあって戦後は、“封印”されたかのように、ほとんど演奏が途絶えていました。今年が戦後70年と信時潔の没後50年の節目にあたることから、信時の出身地、大阪での演奏会を産経新聞社が開催しました。
信時潔は慶應義塾塾歌をはじめ、1000校を超える全国の大学、高校の校歌などを作曲しています。一歳年上で同じく東京音楽学校(現東京藝術大学)に学び、今年同じく没後50年を迎えた山田耕筰が戦後も脚光を浴びたのに対し、信時は、ほとんど表舞台に出ることはありませんでした。
しかし戦後も、旧制市岡中学(現大阪府立市岡高校)の同窓生だった画家の小出楢重(こいでならしげ)や、作家の石濱 恒夫(いしはまつねお)の父で歴史学者の石濱純太郎(東洋史学)をはじめ、作家の藤澤桓夫ら多くの大阪を拠点に活動していた文化人らと親交を重ね、文化芸術の発展を陰で支えていたと伝えられています。
この信時の作品が、滋慶学園グループの浮舟邦彦総長がホール総監を務めるザ・シンフォニーホールで演奏されるということに加えて、交声曲「海道東征」が、ザ・シンフォニーホールと縁の深かい朝比奈隆と大阪フィルハーモニー管弦楽団によって71年前に上演されたことや、戦後埋没していた大阪が生んだ日本の偉大な芸術家に再び光を与えたいという主催者の熱意に動かされて、大阪の文化芸術の発展にわずかでも寄与したいと、滋慶学園グループとザ・シンフォニーホールが、演奏会への協賛・協力をさせていただきました。
2度にわたる公演では、文芸評論家で都留文科大学教授、新保祐司氏がプレトークで、信時潔と北原白秋がコンビを組んだ交声曲「海道東征」が西洋音楽に雅楽や古謡など日本の旋律を取り入れた音楽と大和ことばの詩がもつすばらしさについて紹介、この演奏をここで聴くことは歴史的意義のある一瞬に立ち会えることであると述べ、「海道東征の復活は、敗戦国日本の精神的呪縛から日本人が解放されつつある象徴である」と、解説しました。
第1部で、日本的な旋律を取り入れた近衛秀麿編曲のベートーベン作曲の「運命」が演奏されたあと、小澤征爾、L.バーンスタインに師事した武蔵野音楽大学教授の北原幸男さんの指揮で、大阪フィルハーモニー交響楽団や同合唱団、大阪すみよし少年少女合唱団と、日本を代表するソプラノ歌手の幸田浩子さんや洗足学園音楽大学客員教授のテノール歌手、中鉢聡さんら5人のソリストが交声曲「海道東征」を熱演しました。
静かなフルートの荘重な雅楽を思わせる調べで「第一章 高千穂」の幕が開けられ、「第二章 大和思慕」と続き、「第八章 天業恢弘(てんぎょうかいこう)」まで、国生みの物語が時に激しく、時にやさしくたおやかに、“日本の心”に訴える北原白秋の詩と、信時の渾身の旋律が奏でられました。
会場では、大阪フィルハーモニー交響楽団の雄壮な音楽と、格調高い日本語の詩をおおらかに歌う声楽が響き合い、アンコール曲の「海ゆかば」では、3階席までホールを埋め尽くした聴衆が次々と立ち上がり、ハンカチを手に合唱を行う感動のフィナーレとなりました。